必要なものは与えられている。

人生を楽しく生きてすべてを活かす挑戦

境界

人はなぜ私利私欲のために奪い合うのか、

その理由は、「個」というものしか見ていないからだろう。

 

自然の世界では、

「個」より、「全体」で考えられている。

植物も虫も動物も人も生きるもの全て同じいのち。

種においても自と他は同じであり、繋がっている。

そこに境界はない。

 

自分を大切にすることは、

他を大切にすること。

 

他を生かし活かすことは、

自分も生かし活かすこと。

 

誰かが持っていることは、

自分が持っていることと同じであるため、

奪う必要はなく、

また、誰かがしていることは、

自分がしているのと同じであり、

そこに不満や嫉妬もないのだ。

 

しかし、人は自分で知覚しなければ理解できないことが多い。

 

誰かが楽しくしていることは、

自分にとっても楽しいことであるはずなのに、

楽しいと知覚できなければ、

妬みや憎しみを持つこともある。

 

しかし、その楽しみはその誰かから奪ったとしても、

自分が楽しくなるとは限らない。

 

誰かと対比させるのではなく、

自分が楽しくなることを追究していくことが大切ではないだろうか。

 

「個」を満たしていけば「全体」が満たされ、

「全体」を満たすことはまた、「個」を満たすことになる。

 

奪い合ったとしても、

広い視野で見れば結局は誰が持っているかの違いであり、

であれば、与え合うことの方が、

楽しく豊かに感じられるのではないだろうか。

 

反発する働き

何でも、

押さえつけられれば反発する。


向かう動きと反対の力を受ければ、

押し返そうとする動きが生まれ、摩擦も生じる。


もし、その反発の力を強めたいのであれば、

より強く圧力をかけるのがよいだろうが、

それによって、

得たいものとは真逆の結果になることもあるだろう。


反発する力をうまく利用しようとするのであれば、

その力が有効に働くよう、手前へ引いてみたり、

背後から押してやることも必要かもしれない。


ある方向に向かう動きの、目に見える部分のみに気を取られていると、

その力の生まれる元を見逃してしまい、

うまく利用すること、活かすことはできなくなるだろう。


その力がなぜその方向に向かうのか、

その力をどう使うのが有意義なのか、

を見極めることが重要だと感じている。

除菌殺菌

ここのところの、

除菌殺菌についての考え方は、

0か100か、という思考に似ていると感じる。


手のひらや自分の周りにいる菌は、

100%が悪さをする菌なのだろうか。


生き物の体にも、周囲の環境にも、

有益な菌も悪さをする(とされている)ような菌も含め、

たくさんの菌が調和を保ちながら共存しており、

生き物の体や環境のバランスが何らかの理由で崩れてしまったとき、

生き物にとって悪さをする(とされている)菌が、

活動しやすい状態となったために、

生き物が病気になるなどするのではないだろうか。


もし何の考えもなく、ただ除菌殺菌する場合、

生き物にとって有益な菌まで殺してしまうのではと考えられる。


対応する必要があるのは、

どんな菌がいるのか、ではなく、

いかに体や環境のバランスを崩さぬようにするか、

だと感じている。

病気や症状

こころや体の不調を治すのは、

医者でもなく、薬でもない。

他でもない自分である。


病院や薬は、

病気や症状を治すのではなく、

自分に備わっている、治す力を活かすために、

最低限必要な範囲で利用するのであり、

無条件に安易に使用することは、

自分の治す力を弱めるだけでなく、

逆にどんどん治りにくくなってしまう。


こころや体の反応は、自然の反応である。


病気や症状とは、

自分の今の状態を教えてくれているのだ。


なぜそのような反応が出るのか、

その根本を見つめ、理解し改善していくことが、

こころと体を健やかに保つために必要なことではないだろうか。

両面

良いことと悪いことは同じだけ起こると言う人もいる。


人生は楽しいことがあれば苦しいこともある、とか。



それは、確かにそうなのかもしれないが、

私は、物事全てに明るい側面と暗い側面と、

両方の面があるからではないかと思っている。


例えば、

風邪を引いたり病気になったりすることは、

確かにしんどい思いをするかもしれない。

しかし、風邪などを引くことによって、

新たな免疫を獲得することができ、

自分の身体の状態がどうだったのかを知ることができる。



物事を一つの方向から見ると、

とんでもなく嫌なことだ、としか思えないことも、

別の方向から見てみれば、

悪いことだけではないということがある。


したことがそのまま返ってくるのだから、

どう考えても嫌なことだったとしても、

どう活かすか、と改めて考え、

明るい側面を拾い上げていくことで、

また明るい未来がやってくるようになるのではないだろうか。

復習

現状や未来に対して、

こうあるべきだ、

こうあってほしい、

という思いを捨てること。


ただ自分や周りの人たちが

楽しく幸せに生きられる未来を想い、

今できることを全力でやっていく。


そして、毎日身の回りで起こることを、

自分の価値観や固定観念、思い込みで判断せず、

冷静に分析し、活かして、明るい気持ちへと昇華させていく。


そしてまた、楽しく幸せな未来を想う、

その繰り返し。


そうしていくことで、

本当に楽しく幸せな未来が現実にやってくることになる。


健全かどうか

時々、自分の言動が理に沿ったものか、

わからなくなってしまうことがよくある。


人間が考えたりしたりすることは、

欲や感情や知識に大きく影響を受け、

そこから離れることも簡単なことではない。


そんな時は、

「健全」ということを確認するのもよいかもしれない。


まず、自分のこころと体が健全であるかを観る。

どこか違和感があるなら、正常になるよう改善する。


そして、自分の考えや行動が健全であるかを観る。

偏っていたり、調和がとれていなければ、改善する。



健全かどうかを確認することも、

主観や独善を離れ、

物事を客観視するためのひとつの手段だと考えている。