必要なものは与えられている。

人生を楽しく生きてすべてを活かす挑戦

境界

人はなぜ私利私欲のために奪い合うのか、

その理由は、「個」というものしか見ていないからだろう。

 

自然の世界では、

「個」より、「全体」で考えられている。

植物も虫も動物も人も生きるもの全て同じいのち。

種においても自と他は同じであり、繋がっている。

そこに境界はない。

 

自分を大切にすることは、

他を大切にすること。

 

他を生かし活かすことは、

自分も生かし活かすこと。

 

誰かが持っていることは、

自分が持っていることと同じであるため、

奪う必要はなく、

また、誰かがしていることは、

自分がしているのと同じであり、

そこに不満や嫉妬もないのだ。

 

しかし、人は自分で知覚しなければ理解できないことが多い。

 

誰かが楽しくしていることは、

自分にとっても楽しいことであるはずなのに、

楽しいと知覚できなければ、

妬みや憎しみを持つこともある。

 

しかし、その楽しみはその誰かから奪ったとしても、

自分が楽しくなるとは限らない。

 

誰かと対比させるのではなく、

自分が楽しくなることを追究していくことが大切ではないだろうか。

 

「個」を満たしていけば「全体」が満たされ、

「全体」を満たすことはまた、「個」を満たすことになる。

 

奪い合ったとしても、

広い視野で見れば結局は誰が持っているかの違いであり、

であれば、与え合うことの方が、

楽しく豊かに感じられるのではないだろうか。