必要なものは与えられている。

人生を楽しく生きてすべてを活かす挑戦

自分の選択

最近またよく目にして気になる言葉、

「人を変えたければ、自分が変わる」、

「他人を変えることはできないが、自分を変えることはできる」。


これらの言葉の背景には、

誰かを変えたい、変わるべきだ、

という目論見が隠れているように思う。

(二つめの言葉の場合は、

その言葉を受ける相手が、かもしれないが。)


だが、

その誰かを変えることは本当に必要なのだろうか。

そこには、やはり、自分自身が持っている、

こうあるべき、こうするのが良い(悪い)、

という考えがあると感じる。


以前別の記事でも書いたことだが、

自分以外の物事は変わるものであり、

その人を変えることができるのは、本人の意思だけと考えている。


自分ができることは、自分がどうするかを選択することのみ。


相手が自分の望ましい行動をしないことに対し、

その人の自由だと放っておくこともできるし、

いや、それではいけない、と矯正しようとすることもできる。


ただし、

そのように自分が選択したことの責任(結果)は、

他人事ではなく、自分で取ることになるだろう。


誰かの気に入らない言動は、

変えるべきとかそのままでもいいとか、

他人がそれぞれの常識で判断するのではなく、

客観的な事実、自然の法則を伝え、

自分自身もそれらに沿って生きていることを見せ、

また、

その人が自分らしく、幸せに生きられるよう、

絶えず見守り、求められれば応える、

ということが必要かもしれない。


このことは、

私自身の課題であると感じており、

日々試行錯誤しているところである。